ライフシントロピーに関する解説一覧です。

ロベルト・アサジオリ

ロベルト・アサジオリ

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サイコシンセシスの創始者、イタリアの精神科医。
アサジオリは、自らの理論を体現し、人間的な豊かさを発揮して人生を生きた人でした。このことは、大いに私たちを勇気づけます。

くにさきが体感した「統合のための二つの要素」である、ハイヤーセルフとインナーチャイルドの双方へのアプローチを、すでにアサジオリは完成していました。ですから、アサジオリの卵型図形という心理モデルは、ライフシントロピーの土台になる部分なのです。

ライフシントロピーに与えた影響

ライフクエストセッションでも、ハイヤーセルフ(トランスパーソナルセルフ/上位無意識)とインナーチャイルド(下位無意識)の双方を扱います。上位と下位の無意識のどちらもが、その人を形成する大切な要素だからです。



日本においてのサイコシンセシスの第一人者と言える、平松園枝さんは
アサジョーリのことを次のように書いておられます。

アサジオリを動かしていたものは、初めから人類愛、人道的動機であり、それを “starting from within”(psの章参照)というスタンスで生きたことは、今の社会問題に示唆、希望を与えるのではないかと筆者は思う。

 ユダヤ系イタリア人、母は神智学会会員という家庭に生まれ、宗教的というより、スピリチュアルで、自由で、知的で、愛情に恵まれ、豊かな環境に育った。早くから西洋の古典に親しみ、10代で、後にマスローが至高体験とよぶような体験をした等といわれる。15才で、雑誌に論文を二つ発表、17才の頃の書簡集からも、彼は伊英独仏など語学は堪能、欧州諸国を旅行し、視野が広く、「愛を根底とした、エネルギーに満ち、かつ調和と幸せに向かう個人と社会の‘真の自己’実現への旅」として人生をみていた事が分かる。

  リベラリスト、平和主義者ということで、ムッソリーニの迫害にあい、1940年頃には、投獄された。この時、「平和や、自由は、運動で闘って得るものではない。自分の心のありよう(態度)」と、実際に、平和で自由な投獄生活を送ったという。

 晩年、カリエスで背中も曲がり、体調は万全ではなかったが、精神は健康で、「いつでも、愛、知、喜び、パワーに満ち、人が訪ねると受容的で、光につつまれて、否定的要素がとけ、最も良いところが発現する」という。

 一人息子に先立たれ、悲しみにくれた後、皆の前に現れた彼は凛として、輝いていた。「何があったのか」という問いに対し「私は意志を発見した」といったという。彼を知る人は、「真の賢人というにふさわしく、喜びを体現した希有な人」という。 まさに、自分の提案したホリスティックな人間観、実践法であるサイコシンセシスを実践、実証した生き方であった。

「ユングは心理の世界に初めてsoulをいれた、アサジオリはそれにspiritを入れた」という言葉があるが、20世紀初頭に、心理学の分野に、既にスピリチュアル、ハイアーな(50年後にマスロー等がトランスパーソナルと呼ぶ領域をユングと共に取り入れ、それに意志も加えた。

 

サイコシンセシス(統合心理学)の背景、アサジオリを動かしたもの

 アサジオリは、性善説を信じながら、一方で、現実社会の醜さ、苦しみを直視し、人間探究の為に、フィレンツエ大学医学部に入学、その後、精神医学、神経学を専攻し、精神分析に光明を見いだしたが、病的な側面のみで、魂、意味、潜在的可能性を除外する事に限界を感じた。一方、宗教、スピリチュアリティ、神秘に関わる人達には、科学性、現実性必要と感じた。

 そこで、実際に、広い分野素晴らしく生きた人々、古今東西の哲学、文学、宗教、秘法、行法等を探究し、同時代の学問、心理学、精神医学、特に精神分析を含めた精神力動の研究、心身医学、実存主義、人類学、意味論、宗教心理学、超意識、holism,パラサイコロジーの研究なども学び、鈴木大拙も含め、世界中の研究者、詩人、宗教人、芸術家など、豊かな語学力を背景に、広く交流し、実際に個人、社会の解放、自由、幸せな、人間らしい本来の有りようを探った。そして、「現代の問題の根本は、外的世界に対する知識とそれを操作する力を得てきた現代人が、自分自身の内なる世界、自分を動かすものへの知識も、内的力(特に意志)も持とうとしない、この内外への知識と力のギャップこそ、緊急に改善すべき課題」と提言、「自分、他者、世界・人生に対する肯定的な態度をもたらすような理論と実践体系」として、ホリスティックな人間観に基づいた気づきと意志を軸とした「癒しから‘真の自己’実現の体系サイコシンセシス(統合心理学)」を科学の立場で、仮説として提案した。

 サイコシンセシスを1910年に、学会で発表してから、28年に研究所設立、そして、ヨーロッパでは、賛同者を得ていったが、アメリカでは、60年代の人間性~トランスパーソナル心理学の流れの中で、最初の、基本的な体系として再発見され、以後、世界中から多くの専門家が彼を訪れ、サイコシンセシス自体も発展していった。彼は、100以上もの論文を書き、臨床を熱心にやったが、彼は、個人の内なる権威を重んじ、自分自身が権威になるのを嫌った。イメージの如くサイコシンセシスで開発されたものが、多用されており、実践哲学、トランスパーソナル心理学の巨人の一人といわれる割には、学問の世界で知られていない。

アサジオリの生涯

 ユダヤ系イタリア人、母は神智学会会員という家庭に生まれ、宗教的というより、スピリチュアルで、自由で、知的で、愛情に恵まれ、豊かな環境に育った。早くから西洋の古典に親しみ、10代で、後にマスローが至高体験とよぶような体験をした等といわれる。15才で、雑誌に論文を二つ発表、17才の頃の書簡集からも、彼は伊英独仏など語学は堪能、欧州諸国を旅行し、視野が広く、「愛を根底とした、エネルギーに満ち、かつ調和と幸せに向かう個人と社会の‘真の自己’実現への旅」として人生をみていた事が分かる。

  リベラリスト、平和主義者ということで、ムッソリーニの迫害にあい、1940年頃には、投獄された。この時、「平和や、自由は、運動で闘って得るものではない。自分の心のありよう(態度)」と、実際に、平和で自由な投獄生活を送ったという。

 晩年、カリエスで背中も曲がり、体調は万全ではなかったが、精神は健康で、「いつでも、愛、知、喜び、パワーに満ち、人が訪ねると受容的で、光につつまれて、否定的要素がとけ、最も良いところが発現する」という。

 一人息子に先立たれ、悲しみにくれた後、皆の前に現れた彼は凛として、輝いていた。「何があったのか」という問いに対し「私は意志を発見した」といったという。彼を知る人は、「真の賢人というにふさわしく、喜びを体現した希有な人」という。 まさに、自分の提案したホリスティックな人間観、実践法であるサイコシンセシスを実践、実証した生き方であった。

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