ライフシントロピーに関する解説一覧です。

ミルトン・エリクソン

ミルトン・エリクソン

生まれながらの障害を天才性へと昇華した男

ダウンロード (21)

エリクソンは生まれつき、いくつかの症状に悩まされていました。
1.ポリオ、2.色覚異常、3.失音楽症(音楽が理解できない障害)です。

特にポリオは彼の生涯をとおして向き合うことになります。

幼いとき、ベッドに横たわっているエリクソンの側で、かかりつけ医が母親にこのように告げました。「この子は一生歩けません」。その発言に対しエリクソンは怒りを覚えました。自分に向けられた発言に怒ったのではなく、母親がショックを受けるような発言をした、かかりつけ医に対しての怒りです。おそらく彼は母親のためにも、ここで病気への克服を心に誓ったのではないでしょうか。

そして、17歳の時にいよいよ、目を除く全身が麻痺した彼は、その驚異的な天才性を発揮することになります。とにかく目しか自由になるものがないのですから、
途方も無く退屈です。

しかし、退屈しのぎとして自分の家族を観察しているうちに、
彼は貴重な発見をします。

言葉の‘ダブルテイク’(ある言葉が2重の解釈を許すこと)、
‘トリプルテイク’(ある言葉が3重の解釈を許す事)の発見や、
言葉の命令的側面(例「この部屋は暑いですね。」が「部屋を涼しくして下さい。」との命令を含むこと)の発見です。そしてこの観察の日々は、卓越した観察力を身につけることに繋がりました。彼は相手の首筋から脈拍数を数える事が出来たほどです。

そしてポリオで動けなかったことに対しても、諦めませんでした。赤ちゃんがどのようにして動けるように成長していくのかを理解し、それをみずからの身体を動かすヒントへとつなげたのです。実際に彼は、かなり動けるようになりました。

さらに失音楽症は、彼が話し相手の呼吸や抑揚に意識的な注意を向ける事を可能にしました。NLPにおいてもキャリブレーションと呼ばれる観察態度としてエリクソンの技術は活かされています。

このように彼は生来の障害を、大いなる才能や技術へと転化していったのです。

晩年まで生涯を現役すごし、多くの後継者を育む

エリクソンはウイスコンシン大学に通い、コロラド総合病院にいた時に医学博士となり、同時に心理学の修士号をとりました。そしてコロラド精神病院での特殊訓練を終えたのち、さまざな経験を経て、ウェイン州立大学医学部の大学院教授になります。その後も様々な経歴を経て、1948年に健康上の理由でアリゾナ州フェニックスに移り住み個人開業したのです。

70歳になり引退してからも症状がひどくて車椅子を離れることができなくなり、患者を診ることも、ごくまれになりました。それにつれて、彼が晩年におこなった治療法はさらに簡潔で効率的なものだったそうです。

グレゴリー・ベイトソンもエリクソンを研究しており、NLP創始者のリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーにエリクソンを紹介したのもベイトソンです。上述したようなエリクソンの技術は、バンドラーとグリンダー両氏の研究によって、ミルトンモデルとしてある程度は体系化されています。

1980年のエリクソンの死後、彼の戦略的なアプローチは広く知られるところとなりました。
時に神秘的に語られるほどのエリクソン催眠ですが、彼自身はとても現実的な人だったので、このような風潮は喜ばないだろうと、エリクソンの研究者ジェイ・ヘイリーは書き記しています。

ライフシントロピーに与えた影響

ライフクエストというガイディングにおいても、ミルトンモデルは随所に散りばめられています。
クライエントの潜在意識に受け入れられやすいような質問形式や、あるいは質問の形で行われる潜在意識への指示などもそうです。

私自身もクライエントとの会話の中で、いくつかのモデルにそって話しを進めていますが
その時もエリクソンの言葉を大切にしています。

「それぞれ、人は皆独特である。それゆえ、心理療法はその人の独自性に合わせてしつらえられるべきであり、
人間行動の仮説理論というプロクルテスの寝台(※)に合わせて、人の身長を延ばしたり切り取ったりしてはいけない」

※プロクルテスはギリシャ神話に出てくる強盗。
 捕らえた旅人をベッドの丈に合わせて、伸ばしたり切り取ったりした。

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional